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手づくり漆喰シーサーキット
守り神シーサーを自ら手作りして、より強固に守ってもらいましょう! |
シーサー とはその昔、古代 オリエント (ペルシャ) において勇猛なライオン は、戦いの最強のものと し崇拝されていました。 やがて姿・形 ·思想がシルク ロードを渡り、「獅子」と中国で呼ばれていたのが、そのまま獅子として沖縄 に伝わり、シーサー、シーシなどと呼ばれました。 |
「そもそも漆喰シーサーとは何でしょうか?」 |
シーサーには、陶製と漆喰と石材の3種類があります。陶製や石材のシーサーが雄雌一対なのに対して、漆喰シーサーはほとんどが単体 (雄のみの場合が多い)です。もともと沖縄の屋根獅子は、瓦職人さんが瓦を葺き終えた後、施主に仕事をくれたお礼として、残った瓦と漆喰(瓦をとめる接着剤のようなもの)でつくったのがはじまりとされています。本来はシーサー職人ではありませんので、その表情はユーモラスで個性が ありました。 |
私たちの工房では、戦火を逃れ、台風に耐え何百年もじっと人々の生活を守り続けてきた古い赤瓦にこだわってシーサーをつくり続けています。赤瓦屋根の家は年々減少の一途をたどっています。その解体現場に足を運び、1枚ずつはがしてきて、シーサーという形で新たに命を吹き込み、人々の生活を守り続けたいと思っています。 |
親子でわいわい言いながら作ってみたり、「阿吽」の雄雌の一対で作るのもおススメ!なぜなら・・・ |
ギャラリーゆしびん
那覇から向かうとムーンビーチホテル手前の国道58号線沿いにあって 赤いテントが目印でお店の前には漆喰シーサーが座っています。 お店の中に入ると、沢山の諸見里剛氏の漆喰シーサーやお父さんのシーサーが迎えてくれます。
諸見里剛とは、琉球ぴらすを始める前からの知り合いで気がつけば13年の月日が流れているのに驚きです。
今回漆喰シーサーキットを作ったよ~というお知らせをもらったので実際に作ってみよう!というのが話の始まりです。
----その前にゆしびんさんが今回漆喰シーサーキットを作ろうと思ったキッカケは?----
ということで 「漆喰シーサー作りにチャレンジ」
ゆしびんさんの手助け無しの漆喰シーサー作りがスタートします。
さぁ~て中身の確認と説明書を広げてっと。。。 漆喰シーサーに見守られながら土台作りがスタートしました。 瓦で口部分作り。どの瓦を使うかがキーポイントですね。これで顔のイメージが出来るのだと思います。 夢中で製作中だったので、従姉妹が漆喰シーサーを作ってもらっている間に、諸見里剛氏のお話を聞くことにしました。
---漆喰シーサーを作り始めた時を振り返る---
時には街中を歩き回って家々のシーサーを見たりもしました。こうやって自分のシーサー作りは、スタートしました。 最初は、道の正面に背中向けて恥ずかしながら片隅で漆喰シーサーを作っていました。ちっちゃいシーサーを入口に並べて置いていると、お客さんが「可愛い~」と言って家に連れ帰ってくれる事がとても嬉しかったので、少しずつ大きいものを作り始めました。
---昔と比べて漆喰シーサの作風に変化へ出ていますか?---
それに頑張りすぎてその反面、面白いなぁ~という作品が出来にくくなったというのもあり悩んだ時期もありました。出来るだけ今は最初の頃、作り初めの気持ちを思い出しながら忘れないように心がけています。」
---顔の表情はその時代の流行とかあったりしますか?---
漆喰シーサーだけでなく、最近は土で作るシーサーもやり始めていて、土でのシーサーを作り始めると漆喰シーサーの気づきがあったりと相乗効果でどっちにもいい影響を得ているので今後は両方やっていきたいと思っています。」
---漆喰シーサーを置いてもらいたい所---
帰って来た人を迎えて皆を見守って欲しいです。」 ---最後に漆喰シーサーキットを購入された方へのコメント---
さてさて、漆喰シーサー作りの方はどこまで進んでいるのでしょうか。 様子を見てみましょう! お~~口が仕上がってきましたね~もう従姉妹はお喋りする事無く職人モードに突入です。 < 顔がだんだんと出来上がってきました。もうすぐ完成です。 完成~~~自分で作ったシーサーだからもう我が子のように思えて来ちゃいますね。 余った漆喰で何故かサーターアンダギーまで作っていた従姉妹でした。笑 製作所要時間は1時間15分 ※※漆喰シーサーを作ってみての感想※※
漆喰シーサーキットのパッケージや説明書を担当したアイデアにんべんさんからもコメントを頂きました。 コメントの依頼を快諾して頂きありがとうございました。私もにんべんさんが作るモノものはとても暖かい感じがするので大好きです。
---------------------------------------------------------------------------------------------- おはようございます。制作秘話(なんだかNHKの歴史番組みたい!って、それは『歴史秘話ヒストリア』ですね)をお送りさせていただきます。って、秘話というほどではないのですが…。 ギャラリーゆしびんで、諸見里さんが作られたシーサーたちに囲まれながら行った打ち合わせの帰り道…。
「それこそシーサーだ!」と。 邪悪なものから守ってくれる一方で、やさしさもある。 そういうことが諸見里さんの商品にすこしでも反映できたらいいのかも、そう思って制作することにしました。 シーサーキットに記された「作り方」は、諸見里さんが一人ひとりのそばで教えてくれるものです。ぜひ挑戦を! 漆喰シーサー職人 諸見里 剛 1972年12月 沖縄県コザ市生まれ 1999年 2月 大阪府「カンテグランテ」にて個展 2001年 2月 東京代官山「無垢里」にて個展 4月 宜野湾市「ラファイエット」にて個展 6月 宮崎市「向日葵」にて個展 8月 那覇市「リウボウ美術サロン」にて2人展 2002年 1月 静岡「ギャラリー陶華」にて2人展 4月京都府河原町「ぎゃらりcい やまと」にて個展 12月浜松「鶴家民藝店」にて個展 2003年 7月 新潟「にいがた銀花」にて個展 11月 那覇市「雅」にて2人展 2004年 4月 山梨「ギャラリー韓」にて2人展 2005年 4月 神戸「トアギャラリー」、大阪「淀画廊」、大阪「プリコラージュ」、奈良「上の蔵」にて2人展 2006年 6月 石川「工房ショップSAKAI」にて2人展 7月 福島「杏屋」にて2人展 |
---ぎゃらりーゆしびんさんの取材を終えて。。。---
諸見里剛というシーサー職人は昔から現在に至るまで全く変わっていませんでした。いつもそこにいるかのように。。。 これってまさしくシーサーだ!! と私もにんべんさんと同じ気持ちにさせられていました。ふと口元が緩んでしまう優子でした。 今度は自分も漆喰シーサーつくるぞ!!」
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オーダーSLOW LIFE 50色 大人サイズ
※「売上の一部が沖縄の環境保護団体に寄付されます。」
オーダーSHOW LIFE 50色 キッズサイズ
※「売上の一部が沖縄の環境保護団体に寄付されます。」
沖縄の小さな珈琲屋さんのコーヒー 120g
※他の商品(Tシャツや雑貨)もご注文の場合は、コーヒーに合わせて一緒に発送となります。
※クリスマスバージョンと年末年始バージョンはお届け日が違うので一緒にご注文できません。お手数ですが、別々にご注文ください。ご一緒に注文になっていた場合は別途送料600円を追加いたしますので、ご了承ください。
COFFEE potohotoの焙煎職人、山田哲史さんのこだわり
ゆいレール安里駅前の栄町市場内の小さなスペースで市場の人々に愛されるコーヒー屋を営むCOFFEE potohotoの山田哲史さん。また飲みたくなるpotohotoの味を提供する職人の言葉からはコーヒーに対する愛情とこだわりが溢れていた。
「最初は本当に市場の人たちに助けられた。これからもこの場所で美味しいコーヒーを提供し続けていきたい」
お店が軌道に乗るまでの最初の一、二年は市場で働く人たちみんながコーヒーを飲んでくれて、本当に助けられ支えてもらったという気持ちが強いという。開店当初は栄町市場も他の市場と同じく、周辺の大型スーパーの進出により元気がなかった。そんな場所でなぜコーヒー屋を始めようと思ったのかと訪ねると、山田さんはこう語った。「人通りの多い場所でやればある程度の集客は見込めるけれど、それに甘んじて自分の成長はなくなるんじゃないかと思ったんです。だから常に技術を高める努力をしたし、それは今でも変わらない。どんな場所でやっても、世界のレベルを意識して本当に良いものを提供できていれば自然とお客さんは来てくれると考えたんです。いいものがあれば自分も世界のどこにでもいくし、そういうお客さんが来てくれるようなお店になれば嬉しいと思ってあえてこの場所で始めました。もともと、栄町市場の雰囲気や場所が好きだったことも大きいですね。自分が始めたころは市場に訪れる人もそんなにはいなかったけれど、ちょうどいろんないいお店も増えてきて、それに伴って人も増えてきた。市場は人の流れが面白いし、やっぱりこの場所は魅力に溢れていると感じています。市場に支えてもらった気持ちが強いのでいくらお客さんが増えても移転する気はありません。」
POTOHOTO COFFEE FACTORY
人々の生活を支える市場で世界を意識しながらコーヒー屋を営む山田さんは、自身の焙煎の技術を高めるためのたゆまぬ努力と同時にコーヒーの新たな可能性を広げる活動を始めている。沖縄最大のグルメフェス、FOOD FLEAでの「POTOHOTO COFFEE FACTORY」というコーヒーチームの結成だ。
---「POTOHOTO COFFEE FACTORY」、それはコーヒーの新たな可能性を追求するコーヒーチーム。コーヒーは品種や産地はもちろん、焙煎方法でも抽出方法でも、また抽出する人でも大きく変わる無限の可能性を秘めている。OKINAWA FOOD FLEAでは焙煎人がその場で焙煎したコーヒー豆を、それぞれの工程のスペシャリストが目の前でそのときしか生み得ないコーヒーをつくり出す。その過程を目で見て、音を楽しみ、香りに喜び、温かさに触れ、舌で味わう。そんな五感すべてを使って飲んでいただけるスペシャルなコーヒーを提供します。思い出に残る1日を、記憶に残る一杯をみなさまにお届けすることができますように。---(POTOHOTO COFFEE FACTORYリーフレットより)
山田さんはこのチームを「音楽のセッションのようなもの」と語る。お店で淹れるコーヒーは味を整えてから出すので、音楽で言えば録音したものを提供するようなもの。それに対してCOFFEE FACTORYは屋外の様々な環境や状況に対応してプロフェッショナルな抽出人たちがその時にしか淹れられないコーヒーを淹れる、いわばライブセッションのようなもの。potohotoのある栄町はミュージシャンが多いのでそういう人たちとの交流の中からインスピレーションを受けて始めたプロジェクトだそうだ。
台湾・阿里山産コーヒー
potohotoには他のコーヒー屋ではめったにお目にかかることができない台湾産のコーヒーが入荷する時期がある。高級茶で有名な台湾の阿里山の提携農家から仕入れるコーヒーだ。生産者は親が茶葉を生産する台湾原住民・鄒(ツオウ)族の方政倫さん、通称「コーヒー王子」という若者。親が趣味で植えていたコーヒーの実を食べ、その甘さに感動して本格的に生産を始め、今では国内外の品評会で国際的なレベルの評価を受けるなど台湾のコーヒー生産者のリーダー的存在。山田さんはコーヒー王子の作ったコーヒー豆の美味しさに感激し、アポ無しで台湾までコーヒー王子を訪ねて行ったのが始まりだったと嬉しそうに語った。山田さん曰く、阿里山のコーヒーは他で見たことがないほどたくさんの実を付け本当に甘く美味しい絶品だという。冬の収穫期を経て4月に入る頃にpotohotoで飲めるようになる台湾コーヒーが待ち遠しい。
「コーヒーは日常で当たり前に飲めるものではない」
「コーヒーは各工程がそれぞれ本当に大変で難しい仕事。生産者、輸出入者、焙煎人、抽出人、サーブする人それぞれのスペシャリストの作業が完璧に繋がった時に本当に美味しいコーヒーが淹れられる。POTOHOTO COFFEE FACTORYはその可能性を感じてをスタートさせたプロジェクトなんです。どこかの工程で誰かが手を抜いたり作業が甘いとたちまち味に出てくるから難しい。でも、それが逆に魅力的であり面白さでもあるんです。」 最初お店を始めたころは全部自分でやってみようと考えた時期もあった。しかし、台湾の生産現場を見せてもらった時にその大変さを見せつけられた。輸入も自分でやってみたがその難しさを痛感して自分は焙煎を極めていこうと決めたという。「全部自分でやってしまうと世界を閉じてしまうことになり、いろいろな人と関われなくなってしまうからもったいないと感じて。。。それよりもスペシャリストの仕事を繋いでいく方が可能性も人脈も広がるし面白いと思ったんです。でも、いろいろやってみたからこそ他の工程の大変さを知れたことは大きかったかも知れない。」そんなコーヒー豆の栽培からお店でコーヒーをサーブするところまですべてを見て経験する中で、山田さんは「コーヒーは日常的に当たり前にあるものではないことに気が付いた」という。不作の年もある、工程のどこかでトラブルが起こり完璧な仕事が達成されないこともある。裏で頑張っている人たちがいて初めて美味しいコーヒーが飲めるということに気が付いた、と感慨深げに話してくれた。 山田さんは今では美味しいを超えた「驚き」を感じられるようなコーヒーを出すことを目指して毎朝焙煎し、お店に訪れてくれるお客さんのためにコーヒーを淹れている。「みんなが美味しいコーヒーを出せるようになってきているので美味しいのは当たり前。だからその美味しいを超えた感覚的に記憶に残るコーヒーを提供したいんです。」穏やかな語り口の奥に強い信念とコーヒーに対する深い愛情とこだわりが見えた瞬間だった。
おいしいコーヒーとSET
※他の商品(Tシャツや雑貨)もご注文の場合は、コーヒーに合わせて一緒に発送となります。
※クリスマスバージョンと年末年始バージョンはお届け日が違うので一緒にご注文できません。お手数ですが、別々にご注文ください。ご一緒に注文になっていた場合は別途送料600円を追加いたしますので、ご了承ください。
COFFEE potohotoの焙煎職人、山田哲史さんのこだわり
ゆいレール安里駅前の栄町市場内の小さなスペースで市場の人々に愛されるコーヒー屋を営むCOFFEE potohotoの山田哲史さん。また飲みたくなるpotohotoの味を提供する職人の言葉からはコーヒーに対する愛情とこだわりが溢れていた。
「最初は本当に市場の人たちに助けられた。これからもこの場所で美味しいコーヒーを提供し続けていきたい」
お店が軌道に乗るまでの最初の一、二年は市場で働く人たちみんながコーヒーを飲んでくれて、本当に助けられ支えてもらったという気持ちが強いという。開店当初は栄町市場も他の市場と同じく、周辺の大型スーパーの進出により元気がなかった。そんな場所でなぜコーヒー屋を始めようと思ったのかと訪ねると、山田さんはこう語った。「人通りの多い場所でやればある程度の集客は見込めるけれど、それに甘んじて自分の成長はなくなるんじゃないかと思ったんです。だから常に技術を高める努力をしたし、それは今でも変わらない。どんな場所でやっても、世界のレベルを意識して本当に良いものを提供できていれば自然とお客さんは来てくれると考えたんです。いいものがあれば自分も世界のどこにでもいくし、そういうお客さんが来てくれるようなお店になれば嬉しいと思ってあえてこの場所で始めました。もともと、栄町市場の雰囲気や場所が好きだったことも大きいですね。自分が始めたころは市場に訪れる人もそんなにはいなかったけれど、ちょうどいろんないいお店も増えてきて、それに伴って人も増えてきた。市場は人の流れが面白いし、やっぱりこの場所は魅力に溢れていると感じています。市場に支えてもらった気持ちが強いのでいくらお客さんが増えても移転する気はありません。」
POTOHOTO COFFEE FACTORY
人々の生活を支える市場で世界を意識しながらコーヒー屋を営む山田さんは、自身の焙煎の技術を高めるためのたゆまぬ努力と同時にコーヒーの新たな可能性を広げる活動を始めている。沖縄最大のグルメフェス、FOOD FLEAでの「POTOHOTO COFFEE FACTORY」というコーヒーチームの結成だ。
---「POTOHOTO COFFEE FACTORY」、それはコーヒーの新たな可能性を追求するコーヒーチーム。コーヒーは品種や産地はもちろん、焙煎方法でも抽出方法でも、また抽出する人でも大きく変わる無限の可能性を秘めている。OKINAWA FOOD FLEAでは焙煎人がその場で焙煎したコーヒー豆を、それぞれの工程のスペシャリストが目の前でそのときしか生み得ないコーヒーをつくり出す。その過程を目で見て、音を楽しみ、香りに喜び、温かさに触れ、舌で味わう。そんな五感すべてを使って飲んでいただけるスペシャルなコーヒーを提供します。思い出に残る1日を、記憶に残る一杯をみなさまにお届けすることができますように。---(POTOHOTO COFFEE FACTORYリーフレットより)
山田さんはこのチームを「音楽のセッションのようなもの」と語る。お店で淹れるコーヒーは味を整えてから出すので、音楽で言えば録音したものを提供するようなもの。それに対してCOFFEE FACTORYは屋外の様々な環境や状況に対応してプロフェッショナルな抽出人たちがその時にしか淹れられないコーヒーを淹れる、いわばライブセッションのようなもの。potohotoのある栄町はミュージシャンが多いのでそういう人たちとの交流の中からインスピレーションを受けて始めたプロジェクトだそうだ。
台湾・阿里山産コーヒー
potohotoには他のコーヒー屋ではめったにお目にかかることができない台湾産のコーヒーが入荷する時期がある。高級茶で有名な台湾の阿里山の提携農家から仕入れるコーヒーだ。生産者は親が茶葉を生産する台湾原住民・鄒(ツオウ)族の方政倫さん、通称「コーヒー王子」という若者。親が趣味で植えていたコーヒーの実を食べ、その甘さに感動して本格的に生産を始め、今では国内外の品評会で国際的なレベルの評価を受けるなど台湾のコーヒー生産者のリーダー的存在。山田さんはコーヒー王子の作ったコーヒー豆の美味しさに感激し、アポ無しで台湾までコーヒー王子を訪ねて行ったのが始まりだったと嬉しそうに語った。山田さん曰く、阿里山のコーヒーは他で見たことがないほどたくさんの実を付け本当に甘く美味しい絶品だという。冬の収穫期を経て4月に入る頃にpotohotoで飲めるようになる台湾コーヒーが待ち遠しい。
「コーヒーは日常で当たり前に飲めるものではない」
「コーヒーは各工程がそれぞれ本当に大変で難しい仕事。生産者、輸出入者、焙煎人、抽出人、サーブする人それぞれのスペシャリストの作業が完璧に繋がった時に本当に美味しいコーヒーが淹れられる。POTOHOTO COFFEE FACTORYはその可能性を感じてをスタートさせたプロジェクトなんです。どこかの工程で誰かが手を抜いたり作業が甘いとたちまち味に出てくるから難しい。でも、それが逆に魅力的であり面白さでもあるんです。」 最初お店を始めたころは全部自分でやってみようと考えた時期もあった。しかし、台湾の生産現場を見せてもらった時にその大変さを見せつけられた。輸入も自分でやってみたがその難しさを痛感して自分は焙煎を極めていこうと決めたという。「全部自分でやってしまうと世界を閉じてしまうことになり、いろいろな人と関われなくなってしまうからもったいないと感じて。。。それよりもスペシャリストの仕事を繋いでいく方が可能性も人脈も広がるし面白いと思ったんです。でも、いろいろやってみたからこそ他の工程の大変さを知れたことは大きかったかも知れない。」そんなコーヒー豆の栽培からお店でコーヒーをサーブするところまですべてを見て経験する中で、山田さんは「コーヒーは日常的に当たり前にあるものではないことに気が付いた」という。不作の年もある、工程のどこかでトラブルが起こり完璧な仕事が達成されないこともある。裏で頑張っている人たちがいて初めて美味しいコーヒーが飲めるということに気が付いた、と感慨深げに話してくれた。 山田さんは今では美味しいを超えた「驚き」を感じられるようなコーヒーを出すことを目指して毎朝焙煎し、お店に訪れてくれるお客さんのためにコーヒーを淹れている。「みんなが美味しいコーヒーを出せるようになってきているので美味しいのは当たり前。だからその美味しいを超えた感覚的に記憶に残るコーヒーを提供したいんです。」穏やかな語り口の奥に強い信念とコーヒーに対する深い愛情とこだわりが見えた瞬間だった。